published on: 2014-07-01 12:47:13
自然から何かを切り取れば、結局このように、心を労して無理に自然に近づけるための水や土や光への配慮の苦労が絶えない。もともとのままなら、草はひとりでに生え、ひとりでに死ぬ。それが植物にとっての、最も幸せなことだ。もっとも愛ある行為は無為、すなわち余計な事をなさないことだ。
宇宙は『存在しようとする意志故に存在する』ということだ。その意志を加速するためなら、宇宙は多様性であれ、娯楽性であれ、苦悩、恐怖、達成欲、なんでも生物にプログラムするさ。存在への意志が宇宙の根拠だ。だが、その根拠の原因はない。ただそうなのだ。しかし、ひとつだけ、その存在の意志には相対的な原因がある。それは、無の領域への恐怖、ないしは、反発力だ。
人々が本当に幸福を得たならば、それによって膨大な被害を被る場所があることを、死ぬまで覚えておくがいい。すなわちそれは、社会システム、経済そのものだ。経済も商売も、なんと人間の不幸なしには成立しないのだ。だとしたら、幸福は、それ自体が社会的罪悪なのだ。これはなんという愚かさだろうか。