published on: 2014-07-01 12:46:50
自然の中に死を恐れて嫌がるようなものは何ひとつない。自然はその半分が死ぬということで支えられている。枯れることを拒む花などない。そんなことになったら、自然は草と花だらけとなり、そうすれば、虫だらけとなり、世界はそれを食べる鳥だらけになってしまう。死ぬことは生きることと全く同じ大切なものだ。
自然から何かを切り取れば、結局このように、心を労して無理に自然に近づけるための水や土や光への配慮の苦労が絶えない。もともとのままなら、草はひとりでに生え、ひとりでに死ぬ。それが植物にとっての、最も幸せなことだ。もっとも愛ある行為は無為、すなわち余計な事をなさないことだ。
あらゆる2分離が創造の根源である。そして、それを合体への葛藤状態におきながらも合体しない距離を維持することで、元素も生物も男女も、惑星と恒星も、なにもかも、分離のままで活動し、回転し、永久に回り続ける。これが輪廻である。それは生まれ変わりの事ではない。やめられない、『終息しない活動自体』を『輪廻』と言うのだ。
人々が本当に幸福を得たならば、それによって膨大な被害を被る場所があることを、死ぬまで覚えておくがいい。すなわちそれは、社会システム、経済そのものだ。経済も商売も、なんと人間の不幸なしには成立しないのだ。だとしたら、幸福は、それ自体が社会的罪悪なのだ。これはなんという愚かさだろうか。